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2000/07/14 態度デカすぎ!
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元記事

 なんでも、IOCが「オリンピック」関連のドメインに対して訴訟を起こしたそうだ。
 これって、なんか勘違いしてないかぁ??

 そもそも「ドメイン名」なんて判別子でしかないわけだし、お金を出して借りているもの。このサイトの「manbow-net.com」だって、そのうちのひとつ。
 で、これって先着順なんだよね。つまり、同じものがすでに登録されていなければ登録できるってしくみ。逆を言うと、先に同じものが登録されていれば登録できないのだ。
 で、もちろんただの判別子であるからして、短すぎず長すぎずであれば、どんなものでも登録できるわけなのね。もちろん、あなたの名前だって、先に誰かに登録されていなければ数千円のお金で借りられるのね。まぁ、日本のドメイン「***.**.jp」だと、規制はあるけど。

 ところが、今回のIOCの言い分って、それを理解してると「ガキみたいなこと言ってんなぁ〜」としか思えないのね。「ダダこねてんじゃね〜よ!」ってね。
 登録商標だって、同じ分野でなければ重なってたっていいんだよ?なのに、全サイトに対して「ウチに貢献してねーから使うんじゃねぇ〜!このタコ!!」って言われたって、「何様のつもりじゃぁ〜!」としか言えないじゃん。普通は、「これで譲ってくれない?」って下手に何かしら出してくるもんだぜ?確か、どっかの会社はそうしたはず。
 所詮はIOCなんだよね。不祥事だらけだし。そんな集団だから、そんなガキみたいな発想しかできないんだろうなぁ。だんだんオリンピックに対して冷めてきてしもたがな、、、、

DVD 2000/06/15

 あーあ。ついに買っちゃった。DVDプレイヤー。
 片面5.2GBだとか、規格がどーのこーのだとか、んなことはどーでもいいのだ。hikkiがいれば(爆)
 てゆーか、最近、上司が組み立てパソコンのパーツをたくさんくれたから、それで1台組み上げちゃったんだよね。実は。んで、CD-ROMドライブがなかったから、CD-ROM/CD-R/CD-RW/DVD-ROMが1台で使えるブツを買ってしまったのが、そもそもの始まり。
 実際、MPEG圧縮って、あんまり信じてないんだよね。画質。SkyPerfecTVもそんなに画質良い訳じゃないし、VideoCDもしかり。(共にMPEG1)
 ついでに言うと、巷で流行りのMP3(MPEG1Layer3)もそんなに音質が良いとは思えないし。
 あ、そうそう。MP3とMPEG3は別物だよ。いっしょクタになってる人いるけど。MP3はあくまでMPEG1の一部ね。
 とかなんとかいいつつ、買ってしまったらしいわ。某S社のヤツ。安物。マレーシア製。
 感想としては、「大した事ないじゃん。やっぱ」だった(^^;;;;;
 てゆーのも、MPEG圧縮特有のアラが見えちゃうのね。やっぱり。爆発シーンだとか、画面がチョコチョコしてるときに見えたりするアレ。SkyPerfecTVのときも「あーあ」って思ったけど、またしても。
 んなことなら、値切って3万ちょい出して買わなくても、某韓国メーカーの「いちきゅっぱ」でよかったなぁ。まぁ、確かに、「世界一画質の汚い」VHSビデオよりマシではあるけど。
 ついでに言うと、「CD-R」とか言うメディアが巷にはありますが、DVDプレイヤーに限って言えば、「カタログで読めないっちゅーもんは読めないんだよっ!」ってことみたいです。はい。買うときは注意しましょう。
 以上、また衝動買いのレポートしてみました。 
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hikki
一体型ドライブ
某S社のDVD
SkyPerfecTV

1999/02/02 街角から電子メール♪
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COMMUNICATIONPAL

 かつてからくうやは、リブレット20っていう、システム手帳より少し大きいくらいのノートパソコンを持っていたのだが、「コミュニケーションパル」っていうブツを衝動買いしてしまった。

 これ、NTTDoCoMoが発売してる「ポケットボード」の高機能版って感じで、中身は廉価版ザウルス。要するに、電子メール+WWWブラウザのついた電子手帳みたいなものなのだ。
 実際に、大きさも軽く、システム手帳並に軽い。小さいサイズのシステム手帳とほぼ同じなのだ。(リブレットは大きいシステム手帳よりまだ大きい)
 こんな機械が、29800円+消費税で買えてしまうのだから、世の中すごいぞ(笑)

 で、3日ほど使ってみた。
 大きさが大きさだけに、持ち運びは簡単。ちょっと大きめのポケットなら、すっぽりと入ってしまう。ただ、キーボードがついてるだけに、少し重く感じるかな。女性がカバンの中に忍ばせておくのにはいいかもしれない。
 でも、携帯電話を使ってすぐに電子メールをやりとりできたり、ちょっとブラウザであのページを、なんて使い方ができるのだから、すげぇよなぁ。それに、デジタル携帯電話なら、ほとんどどのキャリアのどの機種でも使えるのだからすごい!(ポケットボードはNTTDoCoMoだけ)
 ただ、男性なくうやとしては、デザインが、、、ってとこかな。明後日、新色出るらしいけど(;_;)。  あと、液晶画面に、バックライトがないのがいただけない。薄暗い場所じゃ、見にくいったらありゃしない。
 けれど、まぁ、衝動買いにしては、80%くらいの満足度かな。これ、結構良い点数。くうやは、デジタルツーカーのSkyWarpを使ってるので、携帯で着信通知&コミパルで確認と返信っていう、完璧な武装でやんす。でも、もともと筆無精なヤツだから、、、、、(^^;;;;;;;
 まぁ、今度のオフ会には持って行くから、珍し物好きな方は見てちょうだい(笑)

「a leaf」 1998/11/30

 6月頃から約半年の間、くうやのサイトは、「a leaf」として再出発するはずだった。
 しかし、それに見合うコンテンツ、そして、デザインを練りきることはできなかった。

 「人生」というどうしようもなく大きなテーマを総合的に自分が挑戦しようとしてたこと、これは別に後悔はしていない。今でも、自分の人生が自分にとって大きな課題であることには変わりないし、流されて生きていこうなんて、微塵も思ってはいない。
 しかし、あまりに漠然としたテーマを人間として未成熟な自分が扱うのには、少々無理があったらしい。どういう切り口から切り込んでいったらいいのか、難しすぎた。

 また、デザインにこだわりすぎたのもいけなかった。

 1996年11月のこのサイト立ち上げ以来、内容の充実とともに、デザインの向上も目指した。立ち上げ当初からすれば、現在のデザインも自分の中で格段の向上だと自負している。かつてのページは、それこそ字の羅列でしかなく、見る方にとっても見づらい物であった。
 しかし、子どもの頃から美術は苦手だった。10段階の通知表で、「3」以上はなかったくらいだ。
 そんな人間が、1年かかってこのデザインを作ったのに、これ以上の物を短期間で作れるはずはない。

 結局、人間の内面を扱うはずのサイトが、デザインという外見で頓挫したと言っても過言ではない。

 ここだけの話、「a leaf」を作るきっかけ、、、、それは1つの失恋だった。
 心の傷を癒さんがために、なにかに熱中したかった。それだけだ。
 恋愛に負けたにもかかわらず、自分のサイトで恋愛を扱うのが辛かった。ある意味、自分から逃げたかったのだろう。

 しかし、ここで誤解をして欲しくはない。
 a leafのテーマは、決してそのために作られた物ではなく、当時のくうや、そして半年経った今のくうや自身が持ち続けているものだ。説得力はないかもしれないが。
 ただ、それ故がために、つまづいてしまうときもある。あえてここで詳しくは述べないが。

 一つ一つの葉っぱがよりあつまって大木を潤すことができる。

 そう、一つ一つはあなた自身であり、あなたの好きな人であり、あなたの友達であり、あなたの親であり、あなたの子であり、あなたの周りにいる人間一人一人のこと。
 その一人一人が人間社会を形成しているわけであり、その一人一人にそれぞれの生き方があり、その一人一人にそれぞれの考え方があり、その一人一人はそれぞれの価値観を持っている。
 一人一人がお互いを認めあうことにより、誰か一人でもより良い生き方ができれば、、、

 その考え方は未だ変わっていない。形は変われど、このテーマはこのサイトの根底に生き続けることだろう。

 今は「人生」という目的地を捨て、かつての通り、「恋愛」を主としたサイトに戻すため作業をしている。
 だがしかし、「恋愛」も人生の一部分の側面ではあるが、漠然とした大きなテーマに変わりはない。
 しかし、それでもこのテーマを捨てきれない理由がある。
 恋愛は、くうや自身の人生にとっても最大かつ再難解なテーマなのだ。
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a leaf TITLE

1998/05/16 「携帯電話のご使用はご遠慮ください」

 携帯電話が生まれて、はや、10年以上の時が流れた。
 携帯電話の台数が、10,000,000台を越えたと言われて久しい。
 が、どうも理不尽でないかい?と思うことがある。

 携帯電話やPHSの普及は、ここ数年、めざましいものがあった。最近ではやや落ち目になってきたらしいが。かく言うくうやも、携帯電話の所持者なのだが、最近理不尽を感じずにはいられない。
 急激な普及に伴って、携帯電話を使う人の意識もついていっていないのだろうが、最近やたらと目にする言葉が、タイトルにも書いた、「携帯電話お断り」の文である。
 実はこれ、電車やバスに書かれていることが一番多い。少なくともくうやのまわりでは。しかし、だ。電車やバスなどでの移動時に使えることこそが便利なのではないか?
 特急電車や新幹線では、「デッキ」と呼ばれる場所で使用するようにアナウンスがある。まだこれはマシな方だ。いざ電話をかけようとしたり、かかってきたりしたら、数歩〜十数歩あるけば事足りる。しかし、デッキは、連結部分に近いため、非常に騒音の高い場所であり、電話をするためには、いやがおうにも大きい声で話さなければならないし、相手の声も聞き取りづらい。電話の音量を最大限にしてもだ。
 しかし、その他の普通電車などでは、デッキがない。連結部分から連結部分まで、全てが客室だ。そのくせ、JRをはじめとする鉄道会社の多くは、携帯電話の利用を禁止していることが非常に多い。
 最近では、生活様式が多様化し、携帯電話という物が非常に浸透してきた。友人や恋人との待ち合わせに使うこともあれば、仕事の連絡も携帯電話を利用しているところもある。また、携帯電話という物は、その「携帯できる」という特性を活かして、緊急時の連絡に使うことも多いだろう。それらの人に、「電話使うな!」は誰がどんな権限で言っているのだろうか。普通電車やバスだって、そう簡単に降りることはできない。なのに、禁止されてしまっては、携帯する意味がないではないか。
 もちろん、マナーという観点から言っているのも理解できなくはない。確かに、使い慣れてない人が電話で話すときの声というのは、デカい。しかし、だ。友達とブーブー騒いでる高校生や、おばちゃんらの声の方がデカいじゃねぇか!!!それも、結構どーでもいいようなことしゃべってるぞ??それを禁止しないで携帯電話だけ厄介者扱いするのはどうだろう。
 ただ単に「まわりにウルサイから」というだけでは、ロクな議論もされず、「苦情がでたからとりあえず」みたいな姿勢がもろ見えである。はっきり言って、こんな苦情言うのは、携帯電話を持ってないおばちゃんらが、持っている人をうらやましがって、ダダこねてるとしか思えない。
 もちろん、病院や飛行機、図書館やコンサートなど、「明らかに使うことは他人に迷惑をかけたり、安全に支障をきたしたりするから」使ってはいけないことはわかる。もちろん、くうやも、それらにとやかく言うつもりはない。だが、公共の交通機関で一方的に「禁止」するのはどうかと思うのだ。
 ある私鉄のバスには、「携帯電話のご使用は、周りの方にご配慮ください」と書いてあった。とりあえずは、この表現が一番適切なのではないかと思う。事実、そのバスに乗っている間、電話はなっていたが、ベルがなったら極力すぐにとり、話すときは小声で話していた。すべての人ができるとは限らないかもしれないが、その表現が一番しっくりくるし、それが理想の形だと思う。
 人間、「するな」と言われたら、したくなるもんだよ(笑)
 あ、それと、呼び出しベルの音は、必要以上に大きくしないように心がけようね。

人生のテーマ 1998/05/12

 今日は、趣向を変えて、すこしばかり難しい話を。

 最近、ある人と、くうやの人生のテーマを話す機会があった。というか、他の話をしていたら、なんだかこの話になってしまったという表現の方が正しいのだが。
 くうやの人生のテーマ、それは、「自分を本当に必要としてもらうこと、そして、それに精一杯応えること」だと思っている。
 ものすごく漠然としたテーマだと思うし、「それってなんじゃ?」とか思うのも無理はない。自分自身の中でも、はっきりとしたビジョンは見えてないのだ。
 以前(「ある人」と話す前)、自分は特に誰からも必要とされていないのではないか、相手にとっていいように利用するために必要とされているだけなのではないか、とか疑ってかかっているばかりだった。それだけに、自分を必要とされていることを見過ごしていたり、「あぁ、○○のために必要とされているだけなんだな」と、考えてばかりいた。
 たとえば、仕事で「君が頼りなんだよ」と言われても、それは仕事に対して意欲を持たせるためのおべんちゃらだったり、人よりちょっと仕事に詳しいからだったり、「仕事をさせる」というためだけに必要とさせられていること。また、急に仲良くなった友達が、実は自分の友達の異性とつきあいたいからというだけの名目で必要としていたのだ、とか。言ってみれば、ヒネクレたものの見方をしていたというか、素直じゃなかったというか。

 基本的に、くうやは自分のことを「天涯孤独」の人だと思っていた。なにも、ただ単にヒネクレてるというだけで思ったわけでもないし、孤独を愛してやまない人というわけでもない。本当のくうやという人物は、実は、さびしがり屋で誰かによりそってないと、自分が見えなくなるような人だ。ある意味、甘えん坊で、まだまだ子供なのだ。精神的には。自分で言うのも変な話だけれど。
 だからこそ、精神的に子供な人を見ると、必要以上に相手に対し、腹を立てたりムカついたりするのであろう。自分を見ているようで。
 そのくせ、自分は大人だと思いたがって仕方ないらしい。なんでも自分でできなければ気が済まない、なんでも自分でこなせるのが大人なんだ、美徳なんだ、そんな思いがなかったとは言えない。だからこそ、「したいけれどなぜできないんだ?」みたいなジレンマが生まれてくる、こんなことの繰り返しだった。
 それに、くうやの母親は未婚の母で、歳も高齢だ。もうすぐ70歳を迎える。父親はこの世に生きているが、そんなわけだから頼っていられない。母親にもしものことがあれば、自分は孤独になる。だからこそ、孤独に耐えられる自分を作らなければならない、そう言い聞かせていた面もあるのだろう。
 そして、実はこれが一番の原因かもしれないが、くうやには今まで、彼女と呼べるほどの彼女が存在してこなかった。まったくいなかったわけではないのだが、非常に期間が短かった。これも、「自分は誰からも必要されていないんだ」という考えが生まれてきた原因になるだろう。

 くうやは、「必要とされる」という一番顕著な例が「恋愛」だと思っている。もちろん、それだけではないと思うが。ただ、こんなこというと怒る人もいるかもしれないが、恋愛においては、「必要とされる」ということを純粋に実感できると思うからだ。とは言っても、それを実感するような恋愛は未だしたことはないのだが。

 さて、ここまでこの話を読んできて、なにか気づいたことはないだろうか。
 もし、いたら、その人のカンはすばらしいものである。

 そう。ここまで、すべて、くうやの受け身でしかないのだ。すべて、「必要としてもらう」ということにしか触れられていない。「必要としてあげる」ということがないのだ。
 なにも、わざと書かなかったわけではなくて、考えていなかったのだ。

 「ある人」にも言われたが、自分が必要としていないのに、他の誰かが必要としてくれるだろうか?

 自分も人間なら、相手も人間だ。自分が「必要とされたい」と思うなら、相手も「必要とされたい」と感じることだろう。お互い人間なのだ。人間関係に一方通行はまずないはずである。しかし、自分が必要とするということがわからないでいて、どうして必要とされたりできるだろうか。
 そう考えてみれば、かなりのことに関して、つじつまがあってくる。今まで、彼女らしい彼女はほとんどいなかったと書いたが、実は、本当は必要としていなかったのかもしれない。なにせ、「彼女が欲しい」と思いつつも、「天涯孤独な人生」と決めつけていたわけだから。また、友達が少ないことに関しても、今考えれば、「親友以外いらない」と考えていたフシもある。だから、親友以外の友達はほとんどいない。

 くうやの人生も、明日で24年になる。今頃こんなことに気づくのは遅いのかもしれないが、気づかせてくれた「ある人」には感謝したい。そして、まずは、くうやとは少し違った価値観や人生観を持って、影響を与えてくれた、この「ある人」を自分から必要としようと思う、というか純粋に必要としたい。本当にありがとう。

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